病気を恐れると病気になる。 添加物を嫌うと病気になる。

Kami - 神 - store 深見です。

健康について学べば学ぶほど、

面白いことに気づきます。

それは、

病気を恐れれば恐れるほど、人は病気に近づく。

ということ。

そして、

添加物を嫌えば嫌うほど、身体は不自然になっていく。

ということです。

もちろん誤解しないでくださいね。

添加物を推奨したいわけではありません。

農薬を推奨したいわけでもない。

自然栽培や無添加の価値を否定したいわけでもない。

むしろ、

自然なものを選んでいます。

しかし、それ以上に大切なことがある。

「恐れは身体に直接作用する」

ということです。

恐れは身体を動かす

「この食品には添加物が入っている!」

「病気になったらどうしよう!」

「癌になったら終わりだ!」

そう思いながら毎日を過ごしている人と、

「大丈夫。身体には力がある」

そう思いながら過ごしている人。

どちらの身体が整いやすいか。

答えは明らかです。

なぜなら、

恐れは神経を緊張させるからです。

神経が緊張すると、

血流が悪くなる。

消化が落ちる。

睡眠が浅くなる。

免疫が下がる。

ホルモンが乱れる。

つまり、病気を恐れること自体が、病気に近づく方向へ身体を動かしてしまうのです。

「病は気から」は本当だった

昔の人は、

「病は気から」

と言い続けました。

科学がなかった時代、

人は身体をただ観察していた。

気持ちが落ちると病気になる。

希望を持つと回復する。

笑うと元気になる。

これは今の医学でも、

神経免疫学や精神神経内分泌学として研究されています。

昔の人の感覚は正しかった。

嫌うことも同じ

添加物を憎む。

農薬を憎む。

薬を憎む。

医療を憎む。

これも同じ構造です。

「嫌う」ということは、

その対象に意識を固定することです。

そして脳は、

意識したものを拡大するようになっています。

添加物を避けたいのに、

頭の中は添加物でいっぱいになる。

病気になりたくないのに、

頭の中は病気でいっぱいになる。

これでは、神経は休まらない。

包み込むという発想

ではどうすればいいのか。

大切なのは、

包み込むこと。

受け入れること。

そして選択すること。

添加物がある。

それも事実。

自然食品もある。

それも事実。

その上で、

自分は何を選ぶのか。

これが成熟した健康観だと思います。

村上和雄先生が伝えたかったこと

ここで思い出すのが、

故・村上和雄先生です。

先生は長年、

DNAと遺伝子の研究を続けていました。

そして繰り返し語っていたのが、

「遺伝子にはスイッチがある」

ということ。

人間のDNAには、

まだ使われていない能力が大量に眠っている。

そして、

そのスイッチは

恐れではなく、

喜びや感謝、

希望や感動によって入りやすくなる。

DNAは単なる設計図ではなく、環境や感情によって反応するのです。

DNAは何を見ているのか

DNAは、

栄養だけを見ているわけではありません。

思考。

感情。

神経状態。

食事。

水。

光。

人間関係。

すべてを見ています。

だから、

高級なサプリメントを飲みながら不安だらけの人より、

感謝しながら味噌汁を飲む人の方が、身体が元気になるのです。

Kami - 神 - の役割

では、

Kami - 神 - は何をしているのか。

製品は病気を治すものではありません。

DNAを操作するものでもない。

しかし、

DNAが本来の働きをしやすい環境を作るもの。

これがKami - 神 - の役割だと思っています。

DNAの上に積もったノイズを減らす。

神経を整える。

水を整える。

細胞環境を整える。

そうすると、

もともと入るはずだったスイッチが、自然に入る。

還元とは「本来に戻ること」

Kami - 神 - が目指しているのは、

還元。

本来の状態へ戻ること。

DNAの力も、

免疫の力も、

回復力も、

本来は誰の中にもある。

ただ、現代社会のノイズで見えなくなっているだけなのです。

病気を恐れると病気になる。

添加物を嫌うと病気になる。

これは極端な言葉に聞こえるかもしれません。

しかし本質は、

恐れと嫌悪が、

神経を閉じ、

生命の流れを止めるということ。

大切なのは、

包み込むこと。

受け入れること。

そして選択すること。

その上で、

DNAが喜ぶ環境を整えること。

Kami - 神 - は、

DNAを変える食品ではない。

DNAが本来の力を発揮しやすい環境を整えるための食品です。

そしてそれは、

日本人が古来より稲と共に育んできた、

生命との付き合い方そのものなのかもしれません。