食べられるコスメが、普通になる日

食べられるコスメが、普通になる日
 

――よく考えてください。僕たちは毎日、何を肌に触れさせ、何を環境へ流しているのでしょうか。


Kami - 神󠄀 - store 深見です。

今日は、少しだけ立ち止まって、一緒に考えてほしいことがあります。

僕たちは毎日、

顔を洗います。

髪を洗います。

歯を磨きます。

身体を洗います。

化粧品を使います。

洗剤も使います。

それはあまりにも日常的で、もはや疑問を持つことすらありません。

しかし、よく考えてみてください。

そのシャンプーを、口に入れることはできますか?

その歯磨き粉を、そのまま飲むことはできますか?

その化粧水を、食べ物と同じ感覚で扱えますか?

もちろん、口から摂るものと、肌に使うものでは、求められる安全性も役割も違います。

何でも食べられれば安全、という単純な話でもありません。

しかし、それでも僕は思うのです。

毎日使うものなのに、僕たちは原材料を知らなさすぎるのではないか。


「使える」と「納得して使える」は違う

多くの商品は、決められた基準の中で製造されています。

使い方を守れば、問題なく使用できるように作られている。

それは事実です。

しかし、基準を満たしていることと、自分が心から納得して選べることは、同じではありません。

僕は、ここを分けて考えたいと思っています。

使えるから使う。

安いから使う。

みんなが使っているから使う。

テレビで見たから使う。

それで本当にいいのでしょうか。

何で作られているのか。

毎日使い続けた時に、自分はどう感じるのか。

子どもにも使わせたいと思えるのか。

使い終わった後、それはどこへ流れていくのか。

そこまで考えて選んでいる人は、まだ多くありません。


シャンプーは、使った瞬間に消えるわけではない

髪を洗う。

泡を流す。

すると、目の前からは消えます。

でも、本当に消えたのでしょうか。

排水管へ流れます。

下水へ流れます。

処理施設を通ります。

そして、最終的には川や海へ戻っていきます。

つまり、僕たちが浴室で使ったものは、自然と無関係ではありません。

目の前から見えなくなっただけです。

見えなくなれば、無くなったと思ってしまう。

流せば、終わったと思ってしまう。

しかし自然界では、何も消えていません。

形を変え、場所を変え、循環し続けています。


歯磨き粉は、口の中で使うもの

歯磨き粉は、口の中で使います。

粘膜に触れます。

毎日使います。

一日に何度も使う人もいます。

もちろん、通常は吐き出すことを前提に作られています。

しかし、完全に一滴も体内に入らないと言い切れるでしょうか。

子どもなら、なおさらです。

だから僕は思います。

口に入る可能性のあるものほど、原材料をもっと大切に考えてもいいのではないか。

それは恐れるためではありません。

選ぶためです。知るためです。自分の意思を持つためです。


肌は「何でも通す器官」ではない

肌には、外部から身体を守るバリア機能があります。

何でも簡単に体内へ入るわけではありません。

しかし、何も考えなくていい、という意味でもありません。

肌の状態。

成分の性質。

濃度。

使用時間。

使う部位。

こうした条件によって、肌への影響は変わります。

だからこそ、毎日長く使うものは、より丁寧に選ぶべきだと思っています。

大切なのは、恐怖ではなく、理解です。


安いものには、理由がある

価格が安い商品が、すべて悪いわけではありません。

企業努力によって、良いものを手頃に届けている会社もあります。

しかし、価格には理由があります。

原材料。

製造工程。

大量生産のしやすさ。

コストを下げるためには、何かを選び、何かを諦める必要があります。

安いから悪い。高いから良い。

そんな単純な話ではありません。

しかし、なぜこの価格なのか。なぜこの原材料なのか。そこを考える習慣は、これから必要になります。


人をきれいにして、自然を汚す

僕は、これが一番おかしいと思っています。

人をきれいにするための商品が、自然を汚す。

肌を整えるための商品が、川や海へ負担をかける。

髪を美しくするための商品が、その先の環境では分解されにくい。

もしそうなら、本当に完成された商品と言えるのでしょうか。

人だけきれいになればいい。

自分の家から流れてしまえばいい。

その考え方は、もう終わりにした方がいいと思っています。

なぜなら、人間と自然は分かれていないからです。

川が汚れれば、海が汚れる。

海が汚れれば、魚が影響を受ける。

魚が影響を受ければ、やがて人間へ戻ってくる。

僕たちは、循環の外側にはいません。循環の中にいます。


食べられるコスメという考え方

だから僕は、「食べられるコスメ」という発想を、これからの新しい常識にしたいと思っています。

本当に食べるための化粧品、という意味だけではありません。

口に入っても慌てない。

子どもが触れても過度に不安にならない。

使う人にも、環境にも、できるだけ負担をかけない。

原材料を見た時に、自分が納得できる。

僕は、その状態を目指したいのです。

僕はこれを、イーテッドコスメと呼びたいと思っています。

肌に使うものだから、食べ物より適当でいい。

外側に使うものだから、原材料は気にしなくていい。

もう、そんな時代ではありません。


本当の美しさとは何か

美しさとは、肌だけがきれいになることでしょうか。

髪だけが潤うことでしょうか。

僕は違うと思っています。

使う人が安心できる。

家族にも使わせたいと思える。

子どもにも触れさせられる。

使い終わった後、自然へ戻る。

そこまで含めて、美しさではないでしょうか。

人も。水も。川も。海も。次の世代も。

すべてが少しずつ良くなる。

僕は、そんな製品を美しいと思います。


よく考えてください。

人間のための商品が、人間だけを見ていていいのでしょうか。

美しくなるための商品が、自然を犠牲にしていいのでしょうか。

子どもたちへ残す未来が、それで本当にいいのでしょうか。

僕は、食べられるほどシンプルで、自然へ還るほどやさしい。

そんなコスメが、特別ではなく、普通になる未来を作りたい。

イーテッドコスメ。

食べられるコスメ。

それは、奇抜な発想ではありません。

人と自然が分かれていないという、あまりにも当たり前の原理原則へ戻ることです。

そして、その当たり前を、もう一度当たり前にする。

それが、これからのものづくりに必要な覚悟だと、僕は思っています。